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箱庭廻さまからいただきました。
ちょっと変った平行世界と.hackのコラボです!

最悪。

ただその言葉だけが頭に浮かんだ。

視界はザーザー。衣服はずぶ濡れ。手押しで進む自転車は限りなく重くて、うっとおしい。

本日の天気は最悪だった。

豪雨の上に、強風です。季節はずれの台風がやってきている。

「ああもう、泣きたい……」

折角遠出して買った買い物も、この分だとずぶ濡れだ。頑張って体で防いでも、小柄な体に隠せる面積は決まっているし、そもそも隠す体の服が濡れていたら意味が無い。

最低、最低、最低。

もう泣きそうだ。

「……寒い」

全身から震え上がるような寒気。

ベットリとした衣服の感覚に、せっかく楽しみにしていた休日が潰された悲しみが圧し掛かってくる。

泣きそう。いや、少しだけ泣いた。

流れる涙でさえも、雨に流されて、塩味すらも感じないのがどこまでも皮肉だった。

寒い寒い寒い。

早く家に帰りたい。いや、雨に当たらない場所ならどこでもいい。

なのに、駅までまだ時間がかかる。距離がある。

普段ならば十分と立たずに付く距離だったけれど、今の状況ではそれは遠い遥か果てのように思えた。

「もぅ……いやだよ」

だから、普段は発しない口調で弱音を吐いた。

その時だった。

「――大丈夫?」

不意に差し出された傘

「え?」

バタバタと揺れ動いていながらもしっかりと差し出された傘。

そして、その持ち主は自分がずぶ濡れなのにも関わらず心配そうな顔で、私を覗き込んでいた。

それが、私――【平賀 才人】と彼【如月 陸】との出会いだった。

 

 

 

 


【彼な彼女と雨下がりの高校生と変わった店主】

 

 

 

 

 

 


その日は珍しく風と雨が強かった。

「風が強いなー」

「そうだな」

ガタガタと揺れる部屋の窓を見ながら、二人の人物がぶっきらぼうな口調でそう言った。

二人のうち、片方の名はルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

トリステイン魔法学園に通うメイジである少女……の筈なのだが、その実質は違う。

"彼"の本名はルーク・フランデルト・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。

れっきとした【男】である。何故そのようなことになっているかは色々と事情があるのだが、そこらへんは省略させてもらおう。

外見上からはふわふわとしたピンク色の髪をしたまな板美少女としてしか認識出来ないため、下内のところそれが家族及び一名を除いてバレてはいない。

「今頃の季節って、これが普通なのか?」

クイッと首を傾げて、窓を見つめていたもう一人の同居人がルークへと目を向けた。

「いんや、こんなに荒れるのは珍しいほうだ。トリステインでもここらへんは穏やかな気候だからな」

そういいつつも、ルークが困ったように頬をかく。それは返答に困っているような態度にも見えるが、スラスラと疑問に答えているからそれはありえない。

その困った態度の原因は全て目の前の男口調の――"少女"にあった。

彼女の名は【平賀 才人】 春に行われたサモン・サーヴァントの儀式でルークが呼び出してしまった"平民"の少女だ。

外見上は童顔の少年にしか見えずしかも女性らしくない低い声に男口調で、なにかとして男だと勘違いされる少女である。

しかも、実は異世界の人間だったりと驚愕すべき素性を持っているが、最初に聞いた時こそ驚いたが今はもう殆どルークは気にしていない。元々細かいことを気に病むような性質ではないのだ。

しかし、こういう小首をかしげたり、ジッと曇りのない瞳で見つめられたりなどすると、普段は感じない

異性の魅力……というか、そんなものが感じてしまってルークは困るのだ。

最初は誤解の上に使い魔と主人という関係で反発が起こり、不仲であったが、その後起こった土くれのフーケ事件やアルビオンでの極秘任務など色々な事件を共に潜り抜け、お互いの仲は当初と比べてかなり縮まっていた。

いや、正直に言えば、才人自身の気持ちは分からないが、ルークは才人という少女に好意を抱いていた。

少しだけ獣欲も混ざって。

(くっ! そ、そんな小動物的な目と愛らしい態度を取るな! う、ううう嬉しいことは嬉しいんだが、理性が、理性がぁああ!!)

などという獣の本能と紳士の理性のせめぎ合いを、ルークは長年の女装生活で築き上げた鉄壁のポーカーフェイスで覆い隠す。

そんな感じで、夜な夜な才人に夜這いをしようかどうかで本能と死闘を繰り広げる健気なルークのことを知ってか知らずか、再び才人は窓の方を見るとため息を吐き出した。

「そういえば……あの日もこんな天気だったなぁ」

「……あの日?」

 才人がポツリと洩らした言葉に、根性で本能を殴り倒したルークが涼しい顔で訊ねます。

「え、あ。いや、"向こう"にいた時のことを思い出しただけだ……」

そういった時の才人の顔に、ルークは表情を渋くしました。

その才人の表情は故郷を懐かしみ、そして淋しがる顔。なんといっても、問答無用でこの異世界に引きずり込んだのはルークが原因です。

「あ、いや、別に淋しいとかそういんじゃないんだ! ただ思い出しただけで――」

ルークの表情に気付いて、バタバタと胸の前で手を交互に振る才人。

「あのさ、それってどんな思い出なんだ?」

「え?」

「もしよかったら話してくれねーか。俺もちょっとは向こうのことに興味あるし」

胸のうちの悩みも吐き出せば少しは楽になるだろう。

そう考えてのルークの発言だった。

その提案に才人は再びうーんと顎に手を当てて考えて、やがてゆっくりと口を開きました。

「それは確か、俺が中学生の時で……」

 

 

 

 

 

それは降り注ぐ雨の中、差し出された一振りの傘。

「えーと、ナンパ?」

「違うよ」

その現実が信じられなくて思わずとぼけた返事を才人はしてしまうが、傘を持った一つか二つぐらい年上らしき少年は苦笑した。

「困ってるみたいだから、声をかけたんだけど迷惑だったかな?」

「いや、それはありがたいんだけど」

そう答える才人はいつの間にか涙が引っ込んでいた。互いにずぶ濡れなのに、こうしてマヌケな会話をしていることに安心したのかもしれない。

そして、同時に嫌悪感を感じた。相手にではなく、自分に。

こうして声をかけてもらい、心配してもらっていてもなお、染み付いた男のフリで乱暴な態度しか取れない自分に吐き気がする。

けれども、そんな自分に少年は優しい態度でこう告げた。

「――"女の子"がこんな中で傘も差してないのは放っておけないよ」

「え?」

女、の子?

聞き間違いだろうか? どんな人でも一目で自分を女性だと気付いた人はいないのに。

いやでも、少年の目は完全にこちらを心配そうに見ている目だ。それに幾らなんでも男の子と女の子は聞き間違えないだろうし。

「よく気付いたな……大抵皆間違えるのに」

「いや、僕もパッと見だと判断出来なかったけど……ほら、今はその状態だし」

その状態?

何故か少年は目を背けて、指を自分の胸辺りに向けてきた。

「?」

自分の体を見下ろしてみる。

それは男もののジーンズの上に、白いワイシャツを着た……ってあ!

白いワイシャツはずぶ濡れで……下着が透けて見えていた。

その瞬間、思考が停止した。

「この――エッチぃ!!」

「がふっ!」

そして、気付いた瞬間。

私は数少ない女性らしい悲鳴を上げながら、全力右ストレートを目の前の少年に叩き込んでいた。

 

 

 

 

 


「あ痛たた……」

「わ、悪い。大丈夫か?」

「あー、うん。僕もちょっと気遣いが足りなかったからね、心配する必要ないよ」

こちらが殴った頬を押さえながら微笑む少年――如月 陸と名乗った少年の後を付いて、才人は傘を差しながら歩いていた。

それも寄り添って。

才人が傘を差しているのは強引に陸から渡されたからだ。

陸曰く「君は年下なんだし、女の子が体を冷やすのはよくないよ」と告げ、才人は「そんな気遣いは必要ねえよ。元々アンタの持ち物なんだから、アンタが差せ!」

という論争の結果の妥協点が、今の合い合い傘である。

これなら両方傘に入れるだろ? と才人の方から言い出したのだが、内心は失敗したと思っていた。

(うぅ、男の人と合い合い傘なんて生まれて始めて……じゃないのが悲しい)

普段は男として認識されている才人である。

男友達と何度も傘を共有したことなんて数え切れないほどだ。

けれども、はっきりと自分が女性だと認識された状態での傘の共有は初めてだった。

(なんか……緊張する)

心拍数が上がり、ドキドキと心臓が高鳴るのを感じる。

これが女性として始めての男性との合い合い傘のせいなのか、それとも雨に打たれてなんとか体を温めようとする生理反応によるものなのか判断が付かない。

「そろそろ着くよ」

しかし、才人の方がそんな困ったような嬉しいような状態なのにも関わらず、陸と名乗った少年はいたって平然とした態度だった。

「もうすぐか」

そう返事しながらも、才人の方はなんでコイツは平然としてるんだろう? と疑問と少しだけ苛立ちの混じった思考で一杯だった。

(もしかして、女性慣れしてるとか?)

顔はちょっと童顔だけどそこそこいけてるし、体つきもそこらへんの学生と比べてガッシリとしているほうだ。

決して悪くない。一応女性である才人の評価としてはそんな感じだった。

「あ、ここだよ」

そんな才人の思考も知らずに、陸は辿り付いた先を指差した。

そこは一つの喫茶店だった。

「SUN&MOON?」

看板に達筆で描かれた文字を読み上げる。

「こんな台風の日に、空いてるのか?」

「見てみなよ」

そういう陸の指先を追ってみると、ガラス戸の向こう側にかけられた板にははっきりと【OPEN】という文面。

「普通、こんな日はCLOSEじゃないのか?」

こんな台風の日は絶対客来ないよな。と思いつつ才人が訊ねると、陸は苦笑する。

「息子の僕が言うのもなんだけど、うちの父さんは変わってるからね。ま、入ってよ」

そういって、陸が父さーんと言いながら、扉を開けて中に入っていった。

そうなのだ。この店は如月 陸の父親が経営している喫茶店で、才人は寄ればタオルとか貸してくれると思うよ? という言葉で誘われてやってきたのだ。

普段の才人なら、そんなつい先ほどまで見知らぬ他人だった少年の誘いなんかにホイホイ付いていくほど無用心ではなかったが、強い雨に打たれて寒いのとそんな中で優しく傘を差し出してくれた陸に対してどこか信頼感があったのかもしれない。

とりあえず数秒間入るかどうか迷った後、「ええいままよ!」と才人は中に入ることにした。

「失礼しまー、わっぷ!」

ベルを鳴らしながら扉を開けて中に入った瞬間、顔目掛けて何かが飛んできた。

「た、タオル?」

顔にかぶさったものを剥ぎ取ると、それは一枚のタオル。

「それで体を拭くといい」

「え?」

その声に目を向けると、厨房と一体化したカウンターの向こう側に精悍な顔つきをしたエプロン姿の男が立っていた。

そして、カウンターの片隅には十数枚と折り畳まれたタオルの山があることから、どうやらそこから一枚取り出して、才人に投げ渡したのだと推測出来た。

「えーと……」

「私は、アレの父親だ」

そういって振り向きもせずに男が親指で指し示した方向に居たのは、同じようにタオルがグシャグシャと髪を拭く陸の姿。

「息子が迷惑をかけたようだな」

「え、いや、どちらかというと世話になったというか……」

抑揚のなく口調で淡々と用件を告げる陸の父親に、才人は渡されたタオルで体を拭くことも忘れて、どうすればいいのかと対応を考えていると。

「ん? 君は女の子か」

「え?」

「タオルを渡して済ますわけにはいかないだろうし……そのままだと風邪を引くな」

少しだけ困ったように眉を潜めて、父親と名乗った男はそのまま店の奥の従業員用と書かれた扉に目を向けた。

「君、身長は170ぐらいか?」

「あ、はい」

問われて、思わず素直に答える。現在の身長は丁度170だった。女性にしては高い方の身長で、その所為で余計に男性と思われることが多くなったんだよな……と微妙にへこむ才人。

「そこの扉に入って、女性用のロッカールームから予備の従業員服を着るといい。個室の一番奥のロッカーに入ってる」

「え?」

「そのまま濡れた服じゃ、マズイだろう? あと陸はバケツとモップで入り口の水滴を拭いておけ、俺はコーヒーの準備をしておく」

「分かったよ」

着ていたランニング用ジャージの上を、バケツの上で絞って水気を切っていた陸が、テキパキと奥に配置してあった用具ロッカーからモップを取り出した。

「え、ええと?」

「さっさと着替えてきなよ。風邪引くよ?」

手際よく、店の中に滴り落ちた水滴類をモップを拭いながら、陸が告げて。

才人はいきなりの展開に戸惑いながらも、言われるままに従業員用の扉を開けて、中に入った。

その奥にあった男子用と女子用と書かれた二つのロッカールームを見つけて、迷う事無く女性用のロッカールームに入る。

そして、一番奥にあった【予備】と名札に書かれたロッカーを開けると、そこにはS、M、Lと三種類のシールが張られたウエイトレス服に、着替えた衣服を入れる用の籠が一つ。

「あ、これはあんまり派手じゃなくていいかも」

Lとシールの張られたウエイトレス服を広げて、才人はそう思った。

最近のは妙にヒラヒラが付いていたり、秋葉原ならオレンジとか鮮やかな色合いのコスプレみたいなウエイトレス服があるが、これはシックに黒と白で構成されている。

(これなら着れるかも)

と、そこまで考えて、才人はまったく見知らぬ場所で着替える自分の行動に赤面した。

なんでこんなことになってるんだろう? とも考える。

(よくゲームや漫画だとここらへんで乱入されるんだよね)

タオルーとか。あ、間違えたとか、むしろ襲う勢いで(これがPCゲームの場合)……

(ま、漫画ゲームとは現実は違うわよね!)

ブルリと考えた身の危険に寒さ以外の鳥肌を立てながら、才人はゆっくりと上着を脱ぎ始めた。ワイシャツのボタンを、寒さでかじかんだ手でプチプチと外していく。

(あー濡れて肌に張り付いてて、気持ち悪い)

なんとか全部外して、肌に張り付いたワイシャツを脱ぐと、露になった素肌をタオルで拭っていく。出来ればブラジャーも外して、タオルで拭きたいところだが下着の代えはないからその上から拭って水気を取るだけに留めた。

「ふー」

上だけとはいえ、濡れた感触を取り除けて才人は息を付いた。

その瞬間だった。閉めた従業員用のロッカールームの扉にノックの音が響いたのは。

(え?)

ビクッと反応して、扉に振り向くと、コンコンと二回のノック音の後、薄く扉が開く。

(え? な、なに!?)

身の危険を感じた。

思わず胸元を片手で覆い、普段棒術で持ち歩いている愛用の棍を持ってこなかったことを後悔した。

「平賀さん、一応こっちの通路の端に乾燥機もあるから、脱いだ奴はそれで乾かせるから」

「は?」

「それだけ。じゃ、ごめんね」

そういって扉が再び閉まる。

ただそれだけだった。

「……」

漫画の読みすぎ。

人の親切を疑いすぎてはいけない。

その二つの教訓を得て、才人はそのままなんか気まずい感じのまま着替えを再開した。

 

 

 

 

 

そして。

「なんかスースーすんな……」

ウエイトレス服を着た才人は膝下ちょっとまでしかないスカートの裾を摘んで、そう思った。

女らしくなりたいと思いつつも、男が欲しかった馬鹿両親二人のせいで、ロクにスカートも履いたこともない。

子供の時に履いてたのは短パン、小学生を終える頃にはズボン一択だった。

でも、新鮮な感じ。

止む得ない代用服だとはいえ、女性としての格好をしている。

「似合ってるかな?」

ロッカーの扉後ろについていた鏡を見ながら、クルリと回って、着崩れてないかどうか確認する。

そんな行動も終えてから、とても女性らしいと思って誇らしくなった。

「やっぱり性根は女なんだよな」

口調は直らなくても、心と体は立派に女の子。

それを再認識出来て、とてもよかった。

「さて、と」

着替えるのに思ったよりも時間が掛かってしまった。

衣服を入れた籠を持って、ロッカールームを出る。そして、先ほど陸に言われた通りに小型の乾燥機に見つけると(幸い何度か使ったことのある機種だった)、そのまま放り込んでスイッチを入れる。

これで後は乾くのを待つだけだ。

「これでよし」

空になった籠を乾燥機の横において、才人はフロアへと戻ることにした。

扉を開き、中へと戻る。

「あ」

「む?」

そして、そこで待っていたのはカウンターでタオルを首にかけたままコーヒーを啜る陸と手際よく何かのポットを準備している彼の父親の姿。

「すみません、服借りてますね」

「問題ない。それよりも君は、コーヒーと紅茶、どっちが好きだ?」

「え?」

陸の父親からの言葉に才人は少しだけ考えた。

普段は男っぽい格好なのに恥ずかしくて苦手なコーヒーだと答えるが、本当に好きなのは甘いミルクティーだ。

だから、この時才人は少しだけ我侭に「ミルクティーを、甘いのが好きです」と答えた。

「なるほど」

そう淡々と返事をすると、陸の父親は鍋でグツグツと沸かしていたお湯に紅茶の茶葉を入れた。そして、その火を弱火にすると「座ってるといい」と才人にカウンター席を勧めた。

「あ、はい。えーと……如月のお父さん」

「――息子から自己紹介はされてるな? 私は如月とでも呼べばいい、苗字で呼んで被るならマスターでいい」

陸の父親――マスターはそっけない言い方を才人にそう告げると、彼は鍋の中を見て、用意しておいたらしいミルクを中に注ぐ。

「変わった人でしょ?」

そんなマスターの態度に目を丸くする才人に対して、陸は苦笑しながらそう言った。

「ん、同感かも」

本人の前で失礼かもしれないが、本当にそう思った。

「よく言われるな」

小声だったのにそれが聞こえたのか、まったく顔つきの変えないままマスターはそう告げて、鍋にかけていた火を止めて、ゆっくりと鍋に蓋をした。

「ロイヤルミルクティーですか?」

花嫁修業のつもりで茶の入れ方を齧ったことのある才人は、マスターのやり方に気付いた。

いわゆる煮出しミルクティーと呼ばれるやり方だ。

「そうだ。こっちの方が体が温まるし、香りもいいからな」

そういうと、三分経ったと厨房において置いたタイマーを見て判断したのか、大き目のマグカップに、茶葉取りのネットを被せてから、蓋を取った鍋の中身を注ぎ込む。

十分に煮出しされ、蒸らされた茶葉の香りと低温殺菌のミルクの香りが、冷えた才人の鼻腔をくすぐった。

「甘みは蜂蜜でいいか?」

才人の前に差し出されたマグカップ。その横に小さなビンに入れた琥珀色の液体が、とても鮮やかに輝きを放っているように思えた。

「はい」

まずは味と香りを確かめるために、何もいれずに才人はミルクティーを啜った。

「あ、おいしぃ」

男口調ではなく、素直に感想が出てきた。

今まで立ち寄ったことのあるどんな喫茶店の紅茶よりもとても美味しく、体が温まるようだった。

「父さんは凝り性だからね」

「当然だろう。こういった食事を職業にする以上、手を抜かないわけにはいかない。こんなのは当たり前の義務だ」

苦笑する息子の言葉に、父親であるマスターは平然とした顔つきでそう言いのけた。

「フフフ」

そんな二人を見て、思わず才人の口元に笑みが零れた。

「?」

「いや、息子と父親ってこんな感じなのかなって思って……」

男らしさを押し付ける父親とは、こんな風には会話出来なかった。

ひょうきんでどこか可笑しい両親は押し付けがましい点は嫌いだけど、憎んでるわけじゃない。

それでも擬似的な息子と父親とは違う、本当の父と子の姿に何故か才人は憧れた。

そして、未だに轟々と吹き荒ぶ嵐の中で、才人はミルクティーを飲みながら、一風変わった少年と男との会話を楽しむことにした。

それから一時間ぐらいした後。

ビュウビュウと吹いて、ドアを鳴らしていた風が弱まった頃、コーヒーを飲み干した陸が不意に立ち上がった。

「ん? どうした?」

「そろそろ服が乾いたかも。様子を見てくるよ」

「おいおい、女の服の様子を見に行くのか?」

カラカラと才人はからかい半分の笑みを浮かべて笑うと、陸は肩をすくめて見せた。

「それには抵抗はあるけどね、どうせ下着はいれてないでしょ? 見たとこ男ものの服だし、君が着にしなければいいんだけど……」

「ん。まあ気にしないけど……女の前で下着とかいうな」

ポッと少しだけ才人は顔を赤らめた。

「ゴメン」

それに少し頬を掻いて、「じゃ、仲良くしててよ」と言い残して、陸は奥の扉に消えていった。

「ふー」

そんな陸が奥の扉に去る様子を見送って、才人がため息を付くと。

「変わった奴だろう」

「え?」

グラスを拭いていたマスターがいきなりそう発言した。

何のことか分からずに目をパチクリと瞬かせた才人に、マスターは言葉が足りなかったかと思って言葉を付け足した。

「陸のことだ」

「あ、なるほど」

「君は陸の同級生か?」

え? いまさらそんな質問?

「いえ」

と思いながら、才人は道端で突然声を掛けられたこととココまで来るまでの経緯を話した。

(そういえば、自分でやっておいてなんだけど、変な出会いだったなー)

説明しながら、ホイホイと付いてきた自分に才人は少し呆れた。

さぞや呆れるだろなぁ、とマスターの反応を予想したが。

「……アイツらしいな」

と平然とした態度で、そう応えた。

(え?)

そんな問題? というか、なんでそんなに平然と?

そんな才人の心中を知ってか知らずか、マスターは言葉を続けた。

「父親である私がいうのもなんだが、陸は少し変わっていてな。似たようなことをしたのも一度や二度じゃない」

「というと?」

「迷子になった子供を見つければその親を探して自分の休日を潰したり、道に迷った人が居ればわざわざその目的地まで案内したりする」

「お人よしなんですね……」

絵に書いたような優しい人間だなと才人は思ったが、マスターは意外なことに首を横に振るった。

「いや、アイツ自身はそう思っていない」

「え?」

「アイツは"そうするのが当然の義務だと考えている"。当然の行為だと考えているからやっているのであって、それを親切だとかそんな風に感じたことはないだろう。そうだな、没我的だとでもいえばいいか?」

よく分からない言い回しに、才人は目を丸くしていると。

マスターは少しだけ唇を皮肉げに歪めた。

「不幸なことに、どうやらアイツは私の歪さを継いでしまったらしい。私もそうだが、アイツも少なからず異常者だ」

「え?」

……異常者?

「……少し話が過ぎたな。それよりも君もずいぶんと変わっている」

「へ?」

突然変わった話題に才人が目を丸くしていると、マスターはグラスを磨いていた手を止めて言った。

「最近の女性にしては、ずいぶんと男っぽい格好に口調だ。それなりに変わっていると思ったんだが」

「これは……両親のせいです」

「両親?」

コクリと才人は頷くと、おもむろに何故こうなったのかをマスターに説明し始めた。

学校の友達にも改めて話したことのない問題を、何故こんな出会って半日も経ってないマスターに対して話したのか今になっても分からない。

ただ誰かに話して、楽になりたかったのかもしれない。

ポツリポツリと小降りになった雨音が響く室内で、才人の話を聞き終えたマスターは少しだけ押し黙った後、静かに口を開いた。

「……正直言って、私には君の家庭に口を出す権利もなければ親交も無い」

それはそうだ。

出会って数時間の人間に権利なんてあるわけがない。

「けれど、私には言えることがある。家族というのは"血の繋がっているだけの他人だ"」

「え?」

「幾ら血縁関係があっても自分と他人は違う。近しいだけで、同じではない。だから、私は陸のことを血は繋がっているものの自分ではない他人だと考えている」

「それは――」

酷すぎるんじゃないか。と、才人は思った。

家族は大切なものだ。決して掛け替えのない絆で結ばれた特別なものだと才人は思っている。

「だから、私が陸を育てているのは私自身の意思だ」

「え?」

「親として息子を信じる義務は当然存在する。しかし、アイツを育てている根本的な理由は私自身の意思だ。言うなれば、私自身のエゴで育てている」

そして、とマスターは息を次いでこういった。

「アイツ自身もおそらく――いや、確実にアイツ自身の意思……つまりエゴで私に育てられ、私の背中を見て、私の歪みを真似ているのだろう」

「そんなことはないんじゃ――」

「きっとこれはアイツと私に血が繋がって無くても変わらないはずだ。私が妻と家族になったようにな」

そういうとマスターは少しだけ視線を変えて、厨房の奥を見た。

そこには若い女性が、今よりも少しだけ若くなったマスターと強引に腕を絡めてピースサインをしている写真が飾られていた。

「今の君には分からないだろうが、夫婦というのは血ではなく、お互いの意思でなる"最初の家族"だ」

「夫婦……」

「血の繋がったものが家族というのなら、夫婦はどうなる? 妻と夫には血の繋がりなどない、互いの意思だけで家族となったものだ。他人が、他人を思って、互いに離れたくないが故に家族という形になっただけの存在だ」

そこまで告げるとマスターは少しだけ間を置いて、言った。

「だから、君はもう少しだけ我侭になっていい。相手は"血の繋がっただけの他人なのだから"、君の人生を決めさせられる権利などない」

「……」

才人はその言葉に何の反応も返せなかった。

ただ両親が望んだから、少なからず親の方針に従わなくてはという意思もあって、彼女は望まれるままに男装を続けていた。

けれども、マスターの言葉はその定義に少しだけ亀裂を入れた。

力を与えてくれた。

「……ありがとうございます」

 だから、才人は笑って、お礼を言った。

「必要ない。コレは私の定義だ、君の生き方じゃないからな。参考程度にしておいてくれ」

そう告げると、マスターは静かに後ろを向いて、グラスを磨き始めた。

(もしかして照れてるのかな?)

才人はなんとなくそう思った。そして、それはそんなに的外れじゃないかもと感じる。

そして。

「平賀さん、服乾いてたよ」

乾いた才人の服を丁寧に折り畳んで、籠に載せた陸が奥から戻ってくる。

「お、サンキュ。如月」

「どういたしまして――って、あ!」

「え?」

陸が声を出し、才人はその視線の先を見た。

それはガラスの扉。そこに打ち付けていた雨の音は無く、むしろ光が見えていて――

才人は立ち上がった。

陸もまた籠を置いて歩き出した。

マスターは静かにそちらに向いた。


「晴れたー!」

カラーンと涼やかな音を鳴らして開く扉の向こう。

青空の下で、ウエイトレス服の裾を華麗になびかせた才人は空を見上げて笑った。


それがこの二人の出会いの結末だった。

 

 

 

 

「そんでそれから家に帰って、少しでも女らしくなるために花嫁修業したりしてさ。料理をしようとすると文句を言ってくる両親と喧嘩したりしたんだ」

「ふーん」

「ってどうしたんだよ?」

話の最中から何故かデルフリンガーを抱えてゴロ寝し始めたルークに、才人が不審げな目を浮かべる。

「別にー。んで、それからソイツとはどうなったんだ?」

「それからたまーに店に寄るようになってさ。聞いてくれよ、陸の奴ってば思った通り結構女性の友達が多くてさ。幼女からお嬢様に、女子高生とか、お前はどこのギャルゲー主人公だって言いたくなるぐらい色んな知り合いがいてさ、ビックリしたなぁ」

なんか一回サムライ口調の外国人のオッサンとか来て仲良く談笑してたしー、と嬉しそうな口調で言う才人には分からない。

何故ルークが不機嫌そうな顔で、その才人の話を聞いているかというと。

(男は女心は分からないっていうけどさ……女も男心はわかってねえよなぁ)

「おーい、なんでそんなに機嫌悪いんだよ!」

「うるせえ! 知るか!!」

言えるわけが無い。

(話のリクって奴に嫉妬したなんて言えるわけねえだろう……)


(青いなー、どいつもこいつも)

と、デルフリンガーが鞘の中で思ったかどうかは誰も知らない秘密である。

 

【終】

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